木材業に携わる者として、山に入り立木を見たとき、荒れた山にいい木はない。天然林ならまだしも人工林ならほぼ間違いない。逆説的に言えば、いい木を作ろうと思えばいい山にしなくてはいけないということである。では、いい山というのはどんな山だろう? 天然林だろうが人工林だろうがそれぞれの木々がしっかりと根付き、木漏れ日が新緑の朝露にキラキラと光る、そんなイメージだろうか。針葉樹と広葉樹の複層林ということなら時間と人手のかかる仕事である。
今の時代、あまり木材の良し悪し(無地であるとか節が多いとか)を昔に比べればいわなくなった。実際、原木市場を見ても良材、選木、高齢木等と40年生ぐらいの間伐材を含めた一般材との価格差は昔(20年ぐらい前)ほどないのが現状である。とはいえ原木価格が低迷している今でも、確かにニーズは減少したが、現状の一般材価格の倍以上の値がつく物はざらにある。ということはいい木を作れば林家にとってもいいことではないか。いい山にするためのコストは販売していく木材代が充当できるようなシステムにならなければならない。
最終伐期を100年として間伐等、手入れを繰り返し有効な資源として循環させていく山林、また150年、200年後には1haに約50本から100本ぐらいの杉、桧の優良木が広葉樹のなかにあり空に向かってそびえているそんな素晴らしい森にしていく。そういう循環のなかで木材を有効に利用し活用する、森を作り守るために木を使っていく、そんな発想もあるのではないかと思う。実際、間伐材の有効利用はその表れではないか? もっと日本の木を使うことが、森を守り環境を守っていくことになり、限りある大事な資源が循環していくことになるのではないか。
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